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スペシャルムービー・完全版
ヤングケアラー
さまざまな視点から描く一人の女の子のドキュメンタリー
完全版(35分37秒)
※字幕の表記を変更している場合があります
この動画は元ヤングケアラーのことこさんのお話を元に、ご本人にご出演いただいて作成しました。
あらすじ
ことこさんは高校2年の時、祖母と同居をはじめる。その祖母は認知症の症状が出始めていた。ことこさんは共働きの両親に代わって祖母の相手をすることに。イヤだと思う気持ちと、家族だから当たり前という気持ちの間で揺れ動くも、誰にも相談することなく過ごす日々。友人や先生と話す機会を得て、自分がヤングケアラーだったと気付いたのは大学に進学してからでした…。
ストーリー
■オープニング
- ナレーション
- ことこさん。都内の大学に通う普通の女子大生。笑顔がステキな彼女でも、こんな風に笑えない時期がありました。
■1 ゆがむ日常
- ことこさん
- 「高校2年生の時に祖父の治療の関係で、福岡から祖父母が東京にきました。」
- ナレーション
- しかし翌年入ってすぐに、不慮の事故によってお爺さんが亡くなりました。そして残されたお婆さんは...
- ことこさん
- 「だんだん耳が聞こえないだけじゃなくて、それに伴う幻覚・幻聴が発現して(現れて)、よりコミュニケーションが
取りづらくなったなっていう感じでした。
家の外に向かって、その幻覚に向かって『ことこさんは家にいませんよ』とか、あとは『ウチに借金はありません』とか、そういう話を大きな声で言っていました。
元々祖父は、まだもうちょっと生きていられるだったんですけど、 病気でなくなったんじゃなくていきなり事故で亡くなっちゃったんで多分、喪失感というか寂しかったんじゃないかなって思います。
でもやっぱり日中は、個々人の活動をするじゃないですか。勉強だったり仕事だったり。
その時間に一緒にいるっていうのが、ちょっと苦痛だったというか。
怒りの沸点がだいぶ低くなってて、もう視界に入るだけでイラッと来ちゃうみたいな。もう部屋から出てこないでって押し込んだこともありましたし。
最初はなんで自分がこんなに怒っているのかわからなかったし、一応身内、父のお母さんなのにこんなこと言っていいのかとか。
最初は悪いな、とか思っていたんですけど段々そんなことも思わなくなってきちゃっていましたね。
早く、この生活が終わって欲しいとは思っていましたけど、もう生きていくので精一杯、自分が。」 - ナレーション
- お婆さんの幻聴・幻覚の対象になってしまった、お父さんとことこさん。それには理由がありました。
- ことこさん
- 「伯母さん?父のお姉さんに私が似ていて、昔のトラブルとかそういう祖母の背景があって、伯母に過干渉みたいなところがあったみたいで、私をその伯母さんと勘違いしている可能性もあるよねっていう風なことを言っていました。
多分、祖母は嫌がらせをしようとしていたわけじゃなくて、ただただやってあげようみたいな。
母としてやってあげようみたいな感覚だったんじゃないですかね。」 - ナレーション
- 彼女は、自分を責めていました。
■2 禍
- ことこさん
- 「祖父がいたときは、ここに介護用ベッドが置いてあって、(祖母は)その隣に布団敷いて寝てたって。ここに机があって、棚が置いてあって、折り畳みの机があって、布団敷いて、とか。」
- ナレーション
- コロナ禍とともに、生活や環境も変わっていきました。
- ことこさん
- 「高校は午前午後の交互登校というか時差登校。大学に入ってからは自分の部屋でリモートの授業、オンラインの授業を受けて、みたいな。
そのオンラインの授業を受けているときに、ドアをガラガラっと開けて『ことこさん、ご飯できましたよ』って言 いにきて。でも10時なんですよ。10時くらいに言いにきて、でも9時前ぐらいにご飯食べているんで、全然お腹空いていないし まだ全然授業中だしっていうので『もう早く出ていってよ! 』みたいな。」 - ナレーション
- やがて世の中の規制は落ち着きつつも、彼女にとっての「禍」は家の外だけではありませんでした。
- ことこさん
- 「学校に行って帰ってきて、でもバイトもその時期は休業でなかったので、家と学校の往復
みたいな。それ以外は祖母の対応したりとかして、同じことを毎日してる感じ。
学校行けなくなった時が一番しんどかったかなって、自分的に。
行こうと思って、朝起きて準備まで全部済ましたのに、やっぱ行けない、みたいな。
玄関まで来て靴履いたけど、やっぱ無理だなって思って戻って寝たりとか。
みんなは普通に他の家族は生活しているのに、自分だけこんなんなっちゃって怒られないかな、みたいな。
父は会社員でエンジニアとして働いていて、母は病院で作業療法士として働いています。
本当に大学辞めるかな、みたいな。これがずっと続くんだったら無理だなって思って。」 - ナレーション
- 家の外に出たかったはずなのに出られない。彼女の心と身体は、悲鳴をあげていました。
■インタビュー 「ヤングケアラー」について知っていますか?
- ナレーション
- ヤングケアラーについて、街で聞いてみました。
- インタビュー①:A/17歳です。B/16歳です。AB/知らないです。
- インタビュー②:今年で20歳になりました。初めて聞きました。食べ物とかじゃないですよね。
- インタビュー③:高校3年生の18歳です。ヤングケアラーって初めて聞 きますね。
- インタビュー④:A/僕は27歳です。B/26歳です。A/何だろう...B/化粧品?ケア?
- インタビュー⑤:今、23歳です。あんまりわかんないです。
- インタビュー⑥:22歳です。知らないです。
- インタビュー⑦:A/自分は21歳です。B/えっと18歳です。 A/はい、聞いたことあります。B/高校の社会とかの勉強で聞いたことがあります。
- 「ヤングケアラー」について知っていますか? 「聞いたことがない」80%
※インタビュー人数:10人
■3 きっかけ
- ことこさん
- 「今は介護福祉士の資格と、社会福祉士の資格取得を目指して勉強しています。
弟の障害について元々学びたいと思ったからここにしたんですけど、介護やってみたら面白くてずっと選択してます。
理系に行きたいとか言っていたんですけど全然向いていなくて。
でも母の仕事とか見ているから、そういう人に関わるお仕事がいいなとは漠然と思っていたので。
まあ福祉の人、優しい人ばっかりですし結果的に良かったなみたいな。」 - ナレーション
- 自身のことを話す彼女の表情は、少し明るく見えました。
- ことこさん
- 「学校に通い始めてからは、それこそ友人と話すようになって、だんだん先生にもお話聞いてもらえるようになってっていう。
最初は自分が、そういうふうに祖母に言われたりされたりするのは、自分のせいだと思っていたところがあって
それをそのまま、先生にお話したら『そんなことないよ』って。『別に悪いことしていないし、お婆ちゃまもお歳とか、ご病気の関係でそういうふうになっているから思い詰めることはない』っていうふうに受け止めて下さって。」
- ごとう先生
- 「例えばオムツを取り替えるとか、お風呂・入浴の介助をするとか、いわゆるわかりやすい身体介護ということをしているわけではないので、自分がその家族の中の普通のことという、普通の家族の出来事の中をつらいとか、ちょっと大変って思っちゃうなんて、そんな思っちゃいけないよねっていうような言葉は最初にありましたよね。
向こうが話してくれるまで、こちらが深掘りをするのではなく、相手が話したいことをまず聞くっていう、そこで『どうなの? 』とか『こうした方がいいんじゃないの? 』とか言ってしまうと、もしくは『そうなんだ、おウチでケアしているんだね、頑張ってるね、偉いね、もっと頑張ってね』って返してしまうと多分もう二度話はしてくれなくなってしまうだろうなっていう。なので彼女が、どのお子さんもそうですけども話せるようようになるまで待つっていうっていうのは多分、時間は少々かかったかなとは思います。
ひと昔前というか、当たり前に家庭の中にあった出来事だと思うんですけども、なので今突然出てきた現象ではなく過去にもきっとそういうことがあって、過去にもそれで悩んだお子さんがいたんだと思うんです。
それがまあ、子どもの権利に侵害されているかどうかっていう視点でみて判断するしかないかなあと思っていて。
昔だったらお爺ちゃんお婆ちゃんも一緒に住んでいたから、家族の中で解決できたこともあとは地域の方が声をかけて下さったこととか、もしかすると今よりももっとオープンだったのかなって気はします。
やっぱり大人が気づくっていうことが一番、本当はできればいいなって思うんですけれども。
知らないこととかわからないことが一番こわいと思うんですよね。今、こういうふうに(ヤングケアラーという)言葉が広がってくれることは本当ありがたいなと思っていて『そっか、こういうときにここに相談しに行ったらいいんだ』っていう場所を知っておくとか『こういうときは、言葉にして言ってもいいんだ』っていうことを、小さいうちから知っていていただくと相談もしやすくなるのかなとも思いますし。
やっぱり学校って、一番お子さんがいる場所ですよね。大学だけではなくて小中高大と、こどもと触れ合う仕事をする以上こどもに関心を持って、声を聴くっていうことを私自身やっていきたいと思っています。」
- ことこさん
- 「ただ何か話すだけじゃなくて、先生のときは次にどうしたら良いかとか、こういう時には何をしたら良いとか そういう明確な対処法とかを教えてもらって、心の持ちようとか、そういう面で支えてもらったかなと思います、先生には。
大学に入ってからはごとう先生と、学生相談室の先生と、あと友人に相談しました。
とくに学生相談室の先生は、繋げていただくっていうよりも自分の話を聞いていただくことがメインでとくにその時の感情 とか、そういうのが、散らばっているものをこう順番通りにまとめていって結局どうしたいとか何が嫌だったとかっていうのを整理する場になっていたかなって思います。」
- とみざわ先生
- 「つらいけど相手のことも大事にしたいっていう感じがすごい伝わってきて、家族の誰に対してもいろいろ思ってらっしゃるのがあったので、やっぱり同年代の子よりはしっかりしている印象を受けました。
何か両方でした。彼女は一杯一杯なのと、一杯一杯で相談しづらさそうなのとだけど、大変だから助けてっていう思いとかも両方あって来るんだけども、でも相談したからといって解決できるわけじゃないから、そこもジレンマになるところかなって思いました。どうしたらいいかじゃなくて本当に何かしなきゃいけないので、相談している場合じゃないみたいなのもあったような気がします。
すごくご家族が彼女を、お母さまが支えて下さったっていうのを仰っていたので、そういう改めて家族の関係が再構成されるとかもあったのかなっていうふうに思います。労って下さっていたり、娘について。
“ヤングケアラー”っていう言葉も最近出てきていますけど、なかなか相談するの大変だっただろうなと、その過去について。話しても解決しないから、また大変なのを自分でなぞるだけというっか、そういうふうにもなりやすいですし、同世代に対して、とくにそういうのがあるみたいですね。
カウンセラーは割と状況を動かす、外の環境を変えるというよりも、その人の内面を深めるような会い方をするので絶望感とかやるせなさとか、そういうことをフォーカスして聞きますけど、そういう対応の仕方だと本当に話しても何も変わらないみたいな『話して楽になったじゃなくて話して辛くなった』みたいになってしまうので自分の職業の限界を感じるのと、社会的にどう対応するのかって考えたら、やっぱり身近な大人が『それが問題なんだ』ってことを言ってあげなきゃいけないのと、言った上で対応しなきゃいけないので持っている自分の知識がないと『あんなサービスがある』『こんなサービスがある』とか分かっていないと、ヤングケアラーであるみたいなことは分かっても、何をしてあげるのかが分かりづらいですよね。」
- ことこさん
- 「同じ学科のお友だちが仲良い子が2人できて、結構、入学式の時とかそういう時期から仲良くさせてもらっています。
あんまり自分の家のことを話すって結構ハードルが高いことだと思うんですけど、やっぱり2人とも優しくて 何でもそういちょっと暗い話とか嫌なような内容の話でも、とくに何を言うわけでもなく頷いて聞いてくれたりとか しっかりちゃんと私のことを見て話を聞いてくれているっていうのが、すごい心が軽くなったなって思います。」
- 友人Fさん
- 「『聞いてよ』とか。」
- 友人Kさん
- 「こんなことあった。」
- 友人Fさん
- 「適当にあしらったりしない。聞いているフリしないみたいな。
理解できていなくてもいいけど、やっぱ頷いて聞いてくれているのは大きい。」 - ことこさん
- 「本当にイライラしている時もあったし、何にも喋らなくなる時もあったし。」
- 友人Kさん
- 「顔は死んでたね。」
- ことこさん
- 「顔は死んでた。」
- 友人Fさん
- 「なんか怒りっぽくなるとか、八つ当たり系の荒れっぽさっていうよりは、静かにイライラしている感じかなって。でも結構無断で休むっていうかさ、いなくなることは、今は別に『寝てんのかな』とか『疲れたのかな』とかあるけど当時まだそこまであれだったので、無断で結構休みが続いてて心配はした。」
- 友人Kさん
- 「うんうん、それはあるかも知れない。」
- 友人Fさん
- 「あと本人にまだ言ったことないけど、今のゼミの先生に相談というか『今、ちょっとこういう状況なんですよね』みたいなのは話したことは、その近くにいたっていうので話したことはあります。」
- ことこさん
- 「知らなかった。」
- ことこさん
- 「授業自体で”ヤングケアラー”って扱ってないもんね、まだ。」
- 友人Kさん
- 「“ヤングケアラー”って言葉の認知度の低さ、なのかな。」
- 友人Fさん
- 「んー言葉、認知度の低さは確かにあるかも知れない。その“ヤングケアラー”の世代に当てはまる子たちっていうのがその言葉っていうか内容を知らない。で、後から知るっていうのはよく聞く話ですし。
やっぱ大人に頼れずに自分がケアラーになっているから、本当に頼るっていうことがそもそも頭の中にないっていう人もいるんじゃないかなとは思いますね。」 - 友人Kさん
- 「自分でいろいろやっているから、やっぱり頼りにくいところがあるのかな。」
- ことこさん
- 「ひとりでいたいのに、ひとりでいたくない。」
- 友人Fさん
- 「否定しないで聞いてくれるって。」
- ことこさん
- 「大事、大事。本当に大事。」
- ことこさん
- 「私の場合は、その、ちゃんと先生が最初から聴いてくれるっていうスタンスでいてくれたので話しやすかったっていうのがあると思うんですけど、やっぱり小学生中学生とかだと先生との距離もあんまり近くないし大人が一人ひとりのこどものことを見る時間が少ないから、そもそもこどもたちは自分がその苦労しているってことはわかっていないかもしれないし、相談するってことがそもそも頭に無いかもしれないって言うので話さないのかなって。 話さない、話せないのかなって思います。
自分から話したいと思って話すことが一番だと思うんですけど、周りがちゃんと受け入れるっていう姿勢を持ってくれたら話しやすいかなって思います。
だからその心理相談みたいな、相談受けますよっていう、その受け入れ場所があるって言うのがわかっていると『あ、じゃあ相談しに行こう』ってなれるので、積極的に相談を受けてくれるっていう場所がちゃんとみんなに見えているといいなって思います。」 - ナレーション
- お婆さんのこと、そして自分自身のことを冷静に考えられたきっかけ、それは信頼できる周りの人たちに話せたことでした。
■4 未来にのぞむ
- ことこさん
- 「いろんな実習先を見て思ったのは、職員さんが明るいところは利用者さんも明るいなっていう、全体的に雰囲気が温かいから介護職員とかの温かさって言うのが、全体の雰囲気に関わるんだなっていうふうに思いました。」
- ナレーション
- 「今」を生きることに必死だった彼女は、これから大学を卒業した先の「未来」に歩み出しています。
- ことこさん
- 「今はヤングケアラーの本人の家に伺う、訪問のアルバイトを最近始めさせていただきました。先輩ケアラーっていうのもあると思いますし、お姉ちゃんが欲しいヤングケアラーの方とかそういう方に、ちょっと年上のお姉さんとして接していくっていう、派遣お姉さんみたいな感じの。
意外と受け入れてもらえているなっていう感触で『次は何したい!』って言ってくれるのが嬉しいなって思います。」 - ナレーション
- 自身の経験を糧に、同じような環境に置かれているこどもに寄り添うことこさん。
しかしなぜ彼女は「ヤングケアラー」を自覚してもなお強く、前に進めたのでしょうか。
ことこさんのお父さんとお母さんに話を聞きました。
■5 家族
- 母
- 「お婆ちゃんのお世話をするっていうのも、全部をいろいろ任せていたら、それは完全な”ヤングケアラー”なのかなとだと思うんですけど人間が老いていく姿を知っていくっていうのは、それはそれで一つ大事なことなのかなって思っていて。
確かにすごく苦しい時間を過ごしたし、そこで気持ちの消化させるためにはどうすればいいのかっていうのも先生とか、あと仲間とかそういう人と出会った中で感じてもらったとは思うんですけど、経験としては苦しいけど大事なことでもあったのかな、なんて未だに思ってしまっています。」 - 父
- 「その子がいないと生活がままならないとか、行動ができなくなってしまうようなのは、良くないことだと思うんですけれども最終的に大人というか保護者というか、ちゃんとフォローできるような、保護者だけでなく地域やそういう活動も含めてだと思うんですけど、うまくフォローできればいいなと。いい大人に将来的になってくれるんじゃないかなと思います。」
- 母
- 「だから、こういう言葉がわかって『あ、相談できる場所があるんだ』と思えることはすごく大事だと思いますし、人によって苦しいと思える、思う場所って違うので『こんなことで悩んじゃって大丈夫なのかな』って思わずに済むことっていうのは大事だと思うんですね。だからあの、皆さんに知ってもらうことっていうのは、すごく良いことだと思っています。
ただ、やっぱりそのためにはしっかりと親が、周りがフォローはしていかないといけないのかな。それを知っているとちゃんと強い大人になれるのかなとは思っています。」 - 父
- 「私はどっちかというと母の方をメインにフォローする、妻は子どもたちの方をメインにフォローするみたいな感じでどういう状況かっていうのをお互いに話をしながらなるべく、えっとどう言ったらいいかな、物理的にどっちがどっちを世話するっていうよりは、どっちの気持ちに寄り添うかっていう意味で、私はどっちかっていうと母側の意見というか母の気持ちを伝えたりとか、なので喧嘩になった場合には、『こういう気持ちで言っているんだから、あなたもちょっとそこは理解してね』ってこっちは言うんですけど、妻からすればわかったっていうので『大変だね』っていうこどもたちの気持ちに寄り添ってもらうようなかたちでフォローしてもらっている感じでやっていました。」
- 母
- 「かなり真っ直ぐに受け止めてしまい過ぎてた、本当は私たちとしては『うんうん、そうねそうね』で流してくれてもいいし、2階に上がってその場をやり過ごすでもいいんですけど、2階にわざわざ母が行っちゃうんですね。
『ことこさん、ことこさん』って行っちゃうから、逃げようにも逃げれなかったとってところはあると思います。」 - 母
- 「でも、その中で『言っていいよ』とは言ってました。だから『お母さんに言いなさい』とは言ってました。
主人と娘は似ているのでぶつかっちゃう、それこそ。」 - 父
- 「そうですね。まあ似てるので気持ちがわかっちゃうって言うのがあって、どう言ったらいいかわかんないですね、あの核心をズバッと言ってしまうとか、痛いところをついてしまうとか、そう言うところはお互いにあると思います。」
- 父
- 「(母の矛先は)そもそもは私とことこに向かっていたわけではないんです。ほぼ、ことこに向
かって。ことこが可愛いというのもあって『自分でなんとかしなきゃ』で、いろいろ聴こえてくる声、外から何かくる人がいる、守らなきゃみたいな感じでどんどん、そんな感じになっていったんですけど、私と母の関係がすごい喧嘩になっていたのは実は、ことこに対して『違う』『間違っているよ』っていうのを説明を一生懸命していたんですね。 その流れで母とはいつも喧嘩していた感じだったので、直接私に何かって言うのは無かったです、元々。で、母から言われるのは『あなたがしっかりしないから、あの子がああなるのよ』みたいな感じのことをずっと言われていた感じだったので、まあそうですね、途中で多分、そうなっている途中で父と私がもう混同してきて そう言う口調になっていったんだと思います。
ことこにしてみれば、それが悔しかったんだと思うんですよね。だから守ってくれようとしたんじゃないかなと思うんだよね。」 - ナレーション
- ことこさんも両親も、お互いに必死に家族を守ろうとしていました。また、ことこさんへの思いも話してくれました。
- 母
- 「思っていた以上にちょっと義母の状態がひどかったので、そこのところでうまくかばいきれなかったところは後悔といえば、後悔、それは申し訳なかったと思ってる、後悔というか申し訳なかったなあと思っていますね。」
- 父
- 「本人には直接言っていないですけど、ちょっと一番、その期間は苦労かけかたなと思っています。
あまり私としてはフォローができなかったので、まああの、フォローできなかったので、これからもっと仲良くできたらと思います。」 - ナレーション
- 近くにいるから、うまく伝えられないこともあるかも知れません。
でも近くにいるからこそ、見えることや気づけることがあると教えてくれました。
■6 つながるもの
- ナレーション
- その後、お婆さんとの生活はどうなったのでしょうか。
- ことこさん
- 「最初は自宅に同居で、次がサービス付き高齢者住宅に一人暮らし始めて ちょっと精神状態が良くなくなっちゃって、病院の方に入院して、えっと、今の施設に入居したかなと思います、確か。
完全に病院とか施設に入居したときにやっぱり『ああやっと終わったか』と思って。実際には終わっていないですけど、でもやっとみんなが手を離せるようになって、楽になったかなと。
それぞれ結構しんどいところがあったでしょうし、父も自分の母がそんなことになって、お母さんも家に帰ってきても同じようなことしなきゃいけないし、私はずっとこんなんだし、妹と弟はそんな家族を見て生活しているわけだし。
大変だったなと思います、みんな。」 - ことこさん
- 「まあ、いろいろなことがあったとはいえ... ...(祖母が)いろいろ良くしてくれたことには変わりないし... ...思い返せばたくさん楽しい思い出もあるから、これからは自由に元気に過ごしてください、と。
施設の中じゃやれることとか限られちゃうと思うんですけど、やりたいふうに生きてくれと。 おやつとか持っていくから、一緒に食べようかっていうくらいですかね。」
■エンディング
- ことこさん
- 「(ヤングケアラーが)大変であるっていうことは、やっぱりそうなんですけど 別に可哀想とかそういうのではないだろうな、っていう、大変だけど。 でもやっていることに結構、人によって差があるなっていうのは最近思うので。
本当に放っておいてほしいっていう人もいるかもしれないし、やっぱり家族の問題だからって人もいるだろうし。でも結局、本音ってわからないから外からだとどうにもできないなって思ったり。
自分が『助けて欲しい』って言わないと、やっぱり分かりづらいところはありそうだなって思います。
今、学校で支援の話とか、支援につなげるまでの過程の話とかをやっているからこそ当事者たちとの考え方のギャップというか、助けてほしいけど助けてほしくないみたいなその矛盾が結構、難しいなっていうふうに思っています。」
東京都では一人ひとりのこどもの気持ちやケアの必要な家族の状況に目を向け、ニーズに応じて多くの機関と連携し、多面的なサポートを行っています。