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令和6年度 座談会

ヤングケアラー・元ヤングケアラーの方々にお集まりいただき、ご自身のケア内容や想いを共有してもらうことで、新たな発見や気付きを得るきっかけ、気持ちの整理に繋げていただくことを目的として座談会を開催しました。
また行政に求められる支援の在り方等へのご意見も伺いました。
参加者の紹介
座談会の開始にあたり、アイスブレイクとしてみなさんの「推し」についても伺いました!

< 参加者 ※ニックネーム >

大学生。小学生の頃から若年性パーキンソン病[1]を患った母をサポートしている。高校3年生の頃には母に認知症の症状が現れ、身体的、精神的なケアと家事全般を担当。「推し」は和菓子で、特に「あんこ」の話になるとつい熱くなってしまう。
[1]体が動かしにくくなったり、震えたりするなどの運動に関わる症状が出る病気

大学院生。心理カウンセラーを目指して勉強中。生まれつき体の悪い母を子供の頃からサポートしている。中学3年生の時に脳幹出血を起こした母を在宅で介護していた。「推し」は音楽で、聞くだけでなく、演奏や作曲も行う。

専門学校生。8年前に姉が摂食障害となり、その影響で不安定となった両親も含めてサポートしている。「推し」は歌手の清水翔太さん。彼に憧れてアコースティックギターを購入し練習中。

大学院生。うつ病の母をサポートしている。ケアの内容は心理的サポートや見守り。大学院では、ヤングケアラーがどのように親の介護を受容していくかという「受容のプロセス」を研究中。「推し」はバスケと音楽フェス。

大学生。中学生の頃から現在に至るまで、精神疾患、うつ病、対人恐怖症を患った母をサポートしている。家事全般を担当するほか、情緒的ケア、経済的支援を行っている。「推し」はハリネズミ。可愛さにはまってグッズを集めたり、ハリネズミカフェに通っている。
< スペシャルゲスト >

2008年に芸能活動をスタート。27歳の頃からパーキンソン病、認知症の父親の介護を経験。その時の経験を基に、より良い介護・ケアについて発信している。「推し」はサッカーで、特にプレミアリーグのアーセナルFCの大ファン。
< ファシリテーター >

一般社団法人ケアラーワークス代表理事。「ヤングケアラーコーディネーター」としても活動。行政と協力しヤングケアラーやその家族を支援する体制・ネットワークづくりに取り組む。「推し」はピン芸人のやす子さん。
私たちは、このようなケアを経験してきた。
それでは座談会を始めます。まず参加者のみなさんに、どのようなケアを経験してきたかをお話しいただきます。
2年前に亡くなった父を介護していました。介護が始まったのは2012年、僕が27歳の頃でした。
この仕事を始めて10年ほど経っていましたが、ようやくFMラジオ局で帯番組の担当が決まり、「これから頑張るぞ」というときに、祖母が脳梗塞で倒れてしまったんです。番組が始まって4日目でした。
祖母は半年後に亡くなるのですが、その直後、父親がパーキンソン病そして認知症と診断されました。父は歩行困難になり、トイレに間に合わなくなることもあり、仕事に支障が出るようになりました。そんな状況で在宅介護を2、3年続けていました。

その間、父の認知症は進み、僕が息子だとわからなくなることもありました。父の相手をしているとき、「何で知らない人間がこの家にいるのか!」と殴り掛かってくることもありました。母も手を上げられました。僕は介護の知識がなく、認知症の人に接する方法が全くわからず悩みました。今は笑って話せますが、かなり混乱した状況でした。その後父は介護施設にお世話になりました。
家族構成は母と父と私の3人です。小学生の頃に母が若年性パーキンソン病を患い、それから母親のケアをしています。その頃は知識がなく、母は体が弱いだけだと思っていました。当時のケアの内容は、1人でスーパーに買い物に行ったり、母の見守りをする程度でした。自分では特別なことと思わず、家事の手伝いの延長という感覚でした。母は私にも尽くしてくれていたので、私も何かしてあげたいという思いでした。
パーキンソン病は症状のアップダウンが激しく、1番状態が悪かったのは高校3年生のときでした。私が受験を控えて母も不安になり、その頃から認知症の症状が現れました。処方された薬との相性も悪く、幻覚の世界に生きているようでした。立ち上がることもできなくなり、要介護5と診断されました。今は薬の調整や入院を経て、状況はだいぶ良くなっています。身体的なケア、精神的なケアと家事全般を私が担当しています。


父と2人暮らしです。以前母親と2人暮らしだったときは、母のケアをしていました。
母は生まれつき体が悪く、リウマチを患っていました。ですから、物心ついた時から母親を手助けするのが日常でした。
自分が中学3年生の時、母親が脳幹出血を起こして様々な後遺症が残り在宅での介護生活が始まりました。大学4年生の時に母は再び脳幹出血を起こし、現在入院中です。
家族4人で実家暮らしです。8年前から4歳年上の姉が摂食障害になり、両親も不安定になりました。僕は直接的にケアをしているわけではありませんが、実家にいると勉強や進路を決めるにも集中できないことが悩みだったので、1人暮らしをするために就職を決めました。


家族構成は父と母と祖父母です。
母親が2020年頃からうつ病を発症し、2、3年間ケアをしてきました。ケアの内容は、心理的サポートと見守りです。母は今では寛解しています。
家族構成は母と2人暮らし。母が精神疾患やうつ病を抱えていて家事ができないので、私が家事全般を担当しています。
