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令和(れいわ)6年度(ねんど) 座談会(ざだんかい)

令和6年度座談会 メインビジュアル

ヤングケアラー・元(もと)ヤングケアラーの方々(かたがた)にお集(あつ)まりいただき、ご自身(じしん)のケア内容(けあないよう)や想(おも)いを共有(きょうゆう)してもらうことで、新(あら)たな発見(はっけん)や気付(きづ)きを得(え)るきっかけ、気持(きも)ちの整理(せいり)に繋(つな)げていただくことを目的(もくてき)として座談会(ざだんかい)を開催(かいさい)しました。
また行政(ぎょうせい)に求(もと)められる支援(しえん)の在り方等(ありかたなど)へのご意見(いけん)も伺(うかが)いました。

参加者(さんかしゃ)の紹介(しょうかい)

座談会(ざだんかい)の開始(かいし)にあたり、アイスブレイクとしてみなさんの「推(お)し」についても伺(うかが)いました!

座談会の様子


< 参加者(さんかしゃ) ※ニックネーム >



あおいさん

あおいさん(20歳(さい))

大学生(だいがくせい)。小学生(しょうがくせい)の頃(ころ)から若年性(じゃくねんせい)パーキンソン病(びょう)[1]を患(わずら)った母(はは)をサポートしている。高校(こうこう)3年生(ねんせい)の頃(ころ)には母(はは)に認知症(にんちしょう)の症状(しょうじょう)が現(あらわ)れ、身体的(しんたいてき)、精神的(せいしんてき)なケアと家事(かじ)全般(ぜんぱん)を担当(たんとう)。「推(お)し」は和菓子(わがし)で、特(とく)に「あんこ」の話(はなし)になるとつい熱(あつ)くなってしまう。
[1]体が動かしにくくなったり、震えたりするなどの運動に関わる症状が出る病気




しゅんたさん

しゅんたさん(22歳(さい))

大学院生(だいがくいんせい)。心理(しんり)カウンセラーを目指(めざ)して勉強中(べんきょうちゅう)。生(う)まれつき体(からだ)の悪(わる)い母(はは)を子供(こども)の頃(ころ)からサポートしている。中学(ちゅうがく)3年生(ねんせい)の時(とき)に脳幹出血(のうかんしゅっけつ)を起(お)こした母(はは)を在宅(ざいたく)で介護(かいご)していた。「推(お)し」は音楽(おんがく)で、聞(き)くだけでなく、演奏(えんそう)や作曲(さっきょく)も行(おこな)う。




一輝さん

一輝さん(19歳(さい))

専門学校生(せんもんがっこうせい)。8年前(ねんまえ)に姉(あね)が摂食障害(せっしょくしょうがい)となり、その影響(えいきょう)で不安定(ふあんてい)となった両親(りょうしん)も含(ふく)めてサポートしている。「推(お)し」は歌手(かしゅ)の清水翔太(しみずしょうた)さん。彼(かれ)に憧(あこが)れてアコースティックギターを購入(こうにゅう)し練習(れんしゅう)中(ちゅう)。




ひかさん

ひかさん(24歳(さい))

大学院生(だいがくいんせい)。うつ病(びょう)の母(はは)をサポートしている。ケア(けあ)の内容(ないよう)は心理的(しんりてき)サポートや見守(みまも)り。大学院(だいがくいん)では、ヤングケアラーがどのように親(おや)の介護(かいご)を受容(じゅよう)していくかという「受容(じゅよう)のプロセス」を研究(けんきゅう)中(ちゅう)。「推(お)し」はバスケと音楽(おんがく)フェス。




ののかさん

ののかさん(20歳(さい))

大学生(だいがくせい)。中学生(ちゅうがくせい)の頃(ころ)から現在(げんざい)に至(いた)るまで、精神疾患(せいしんしっかん)、うつ病(びょう)、対人恐怖症(たいじんきょうふしょう)を患(わずら)った母(はは)をサポートしている。家事(かじ)全般(ぜんぱん)を担当(たんとう)するほか、情緒的(じょうちょてき)ケア、経済的(けいざいてき)支援(しえん)を行(おこな)っている。「推(お)し」はハリネズミ。可愛(かわい)さにはまってグッズを集(あつ)めたり、ハリネズミカフェに通(かよ)っている。



< スペシャルゲスト >



ハリー杉山さん

ハリー杉山(すぎやま)さん

2008年(ねん)に芸能活動(げいのうかつどう)をスタート。27歳(さい)の頃(ころ)からパーキンソン病(ぱーきんそんびょう)、認知症(にんちしょう)の父親(ちちおや)の介護(かいご)を経験(けいけん)。その時(とき)の経験(けいけん)を基(もと)に、より良(よ)い介護(かいご)・ケアについて発信(はっしん)している。「推(お)し」はサッカーで、特(とく)にプレミアリーグのアーセナルFCの大ファン(だいふぁん)。





< ファシリテーター >



田中悠美子さん

田中悠美子(たなかゆみこ)さん

一般社団法人(いっぱんしゃだんほうじん)ケアラーワークス代表理事(だいひょうりじ)。「ヤングケアラーコーディネーター(やんぐけあらーこーでぃねーたー)」としても活動(かつどう)。行政(ぎょうせい)と協力(きょうりょく)しヤングケアラーやその家族(かぞく)を支援(しえん)する体制(たいせい)・ネットワークづくりに取(と)り組(く)む。「推(お)し」はピン芸人(げいにん)のやす子(こ)さん。







私(わたし)たちは、このようなケアを経験(けいけん)してきた。


田中(たなか)

それでは座談会(ざだんかい)を始(はじ)めます。まず参加者(さんかしゃ)のみなさんに、どのようなケアを経験(けいけん)してきたかをお話(はな)しいただきます。



ハリー杉山(すぎやま)

2年前(ねんまえ)に亡(な)くなった父(ちち)を介護(かいご)していました。介護(かいご)が始(はじ)まったのは2012年(ねん)、僕(ぼく)が27歳(さい)の頃(ころ)でした。
この仕事(しごと)を始(はじ)めて10年(ねん)ほど経(た)っていましたが、ようやくFMラジオ局で帯番組(おびばんぐみ)の担当(たんとう)が決(き)まり、「これから頑張(がんば)るぞ」というときに、祖母(そぼ)が脳梗塞(のうこうそく)で倒(たお)れてしまったんです。番組(ばんぐみ)が始(はじ)まって4日目(かめ)でした。
祖母(そぼ)は半年後(はんとしご)に亡(な)くなるのですが、その直後(ちょくご)、父親(ちちおや)がパーキンソン病(びょう)そして認知症(にんちしょう)と診断(しんだん)されました。父(ちち)は歩行困難(ほこうこんなん)になり、トイレに間(ま)に合(あ)わなくなることもあり、仕事(しごと)に支障(ししょう)が出(で)るようになりました。そんな状況(じょうきょう)で在宅介護(ざいたくかいご)を2、3年(ねん)続(つづ)けていました。


ハリー杉山

その間(あいだ)、父(ちち)の認知症(にんちしょう)は進(すす)み、僕(ぼく)が息子(むすこ)だとわからなくなることもありました。父(ちち)の相手(あいて)をしているとき、「何(なん)で知(し)らない人間(にんげん)がこの家(いえ)にいるのか!」と殴(なぐ)り掛(か)かってくることもありました。母(はは)も手(て)を上(あ)げられました。僕(ぼく)は介護(かいご)の知識(ちしき)がなく、認知症(にんちしょう)の人(ひと)に接(せっ)する方法(ほうほう)が全(まった)くわからず悩(なや)みました。今(いま)は笑(わら)って話(はな)せますが、かなり混乱(こんらん)した状況(じょうきょう)でした。その後(ご)父(ちち)は介護施設(かいごしせつ)にお世話(せわ)になりました。




あおい(あおい)

家族構成(かぞくこうせい)は母(はは)と父(ちち)と私(わたし)の3人(にん)です。小学生(しょうがくせい)の頃(ころ)に母(はは)が若年性(じゃくねんせい)パーキンソン病(びょう)を患(わずら)い、それから母親(ははおや)のケア(けあ)をしています。その頃(ころ)は知識(ちしき)がなく、母(はは)は体(からだ)が弱(よわ)いだけだと思(おも)っていました。当時のケアの内容(ないよう)は、1人(り)でスーパーに買(か)い物(もの)に行(い)ったり、母(はは)の見守(みまも)りをする程度(ていど)でした。自分(じぶん)では特別(とくべつ)なことと思(おも)わず、家事(かじ)の手伝(てつだ)いの延長(えんちょう)という感覚(かんかく)でした。母(はは)は私(わたし)にも尽(つ)くしてくれていたので、私(わたし)も何(なに)かしてあげたいという思(おも)いでした。


パーキンソン病(びょう)は症状(しょうじょう)のアップダウンが激(はげ)しく、1番(ばん)状態(じょうたい)が悪(わる)かったのは高校(こうこう)3年生(ねんせい)のときでした。私(わたし)が受験(じゅけん)を控(ひか)えて母(はは)も不安(ふあん)になり、その頃(ころ)から認知症(にんちしょう)の症状(しょうじょう)が現(あらわ)れました。処方(しょほう)された薬(くすり)との相性(あいしょう)も悪(わる)く、幻覚(げんかく)の世界(せかい)に生(い)きているようでした。立(た)ち上(あ)がることもできなくなり、要介護(ようかいご)5と診断(しんだん)されました。今(いま)は薬(くすり)の調整(ちょうせい)や入院(にゅういん)を経(へ)て、状況(じょうきょう)はだいぶ良(よ)くなっています。身体的(しんたいてき)なケア、精神的(せいしんてき)なケアと家事(かじ)全般(ぜんぱん)を私(わたし)が担当(たんとう)しています。

あおい



しゅんた
しゅんた

父(ちち)と2人暮(りぐ)らしです。以前(いぜん)母親(ははおや)と2人暮(りぐ)らしだったときは、母(はは)のケアをしていました。
母(はは)は生(う)まれつき体(からだ)が悪(わる)く、リウマチを患(わずら)っていました。ですから、物心(ものごころ)ついた時(とき)から母親(ははおや)を手助(てだす)けするのが日常(にちじょう)でした。
自分(じぶん)が中学(ちゅうがく)3年生(ねんせい)の時(とき)、母親(ははおや)が脳幹出血(のうかんしゅっけつ)を起(お)こして様々(さまざま)な後遺症(こういしょう)が残(のこ)り在宅(ざいたく)での介護生活(かいごせいかつ)が始(はじ)まりました。大学(だいがく)4年生(ねんせい)の時(とき)に母(はは)は再(ふたた)び脳幹出血(のうかんしゅっけつ)を起(お)こし、現在(げんざい)入院(にゅういん)中(ちゅう)です。




一輝(かずき)

家族(かぞく)4人(にん)で実家暮(じっかぐ)らしです。8年前(ねんまえ)から4歳(さい)年上(としうえ)の姉(あね)が摂食障害(せっしょくしょうがい)になり、両親(りょうしん)も不安定(ふあんてい)になりました。僕(ぼく)は直接的(ちょくせつてき)にケアをしているわけではありませんが、実家(じっか)にいると勉強(べんきょう)や進路(しんろ)を決(き)めるにも集中(しゅうちゅう)できないことが悩(なや)みだったので、1人暮(りぐ)らしをするために就職(しゅうしょく)を決(き)めました。

一輝



ひか
ひか

家族構成(かぞくこうせい)は父(ちち)と母(はは)と祖父母(そふぼ)です。
母親(ははおや)が2020年頃(ねんごろ)からうつ病(うつびょう)を発症(はっしょう)し、2、3年間(ねんかん)ケアをしてきました。ケアの内容(ないよう)は、心理的(しんりてき)サポートと見守(みまも)りです。母(はは)は今(いま)では寛解(かんかい)しています。




ののか

家族構成(かぞくこうせい)は母(はは)と2人暮(りぐ)らし。母(はは)が精神疾患(せいしんしっかん)やうつ病(うつびょう)を抱(かか)えていて家事(かじ)ができないので、私(わたし)が家事(かじ)全般(ぜんぱん)を担当(たんとう)しています。

ののか