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令和(れいわ)7年度(ねんど) 座談会(ざだんかい)

目次(もくじ)





ケアをして(かん)じたこと、(かんが)えたこと、(なや)んだこと


田中(たなか)

ケアをしていく(なか)で、(かん)じていたこと、(おも)っていたことなどがあれば(おし)えていただけますか?



高岡(たかおか)

学生時代(がくせいじだい)(わたし)(つよ)(かん)じていたのは、(ほか)家庭(かてい)自分(じぶん)家庭(かてい)との(ちが)でした。(まわ)りの()たちは、翌日(よくじつ)学校(がっこう)準備(じゅんび)(おや)手伝(てつだ)ってもらったり、帰宅(きたく)(おそ)くなると(おや)(むか)えに()てもらったりしていて、まるで家政婦(かせいふ)さんがいるかのように(おも)えました。


一方(いっぽう)(わたし)授業(じゅぎょう)準備(じゅんび)試験勉強(しけんべんきょう)はもちろん()(まわ)りのことも自分(じぶん)でこなし、さらにご(はん)用意(ようい)家事(かじ)も、家族(かぞく)協力(きょうりょく)してこなさなければなりませんでした。その(うえ)(はは)()(まわ)りの世話(せわ)病院(びょういん)への()()いもしていたため、同年代(どうねんだい)()たちと(くら)べて、こどもとして()けるサポートの()(つよ)(かん)じていました。


(おや)(つく)ったお弁当(べんとう)()ってくる友達(ともだち)()ると、愛情(あいじょう)()けているんだなと(かん)じ、仕方(しかた)のないことと(あたま)では理解(りかい)しながらも(さび)しさや疎外感(そがいかん)(いだ)くこともありました。もちろん、自分(じぶん)(あい)されていないわけではないのですが、その()いようのない複雑(ふくざつ)(おも)いを(おもて)()すことはできませんでした。(だれ)かになぐさめてもらいたいわけでも、かわいそうと(おも)われたいわけでもなく、ただ()()のない感情(かんじょう)をこどもの(ころ)から(かか)えながら()きてきたのだと(おも)います。


高岡


ぽむぽむ

(おとうと)には(さび)しい(おも)いをさせたくない、また、()がった方向(ほうこう)(そだ)ってほしくないという(おも)いから、「宿題(しゅくだい)やったの?」や「学校(がっこう)手紙(てがみ)()したの?」と(くち)うるさく()っていました。



田中(たなか)

ぽむぽむさんが中学生(ちゅうがくせい)ぐらいの(とき)はまだむっちさんは5(さい)くらい、高校生(こうこうせい)(とき)には小学校(しょうがっこう)高学年(こうがくねん)ですよね。



ぽむぽむ

(はは)()わりに授業参観(じゅぎょうさんかん)運動会(うんどうかい)()くこともありました。そのとき()いお(ねえ)ちゃんね」と()われると、(うれ)しい気持(きも)ちと同時(どうじ)に、ちょっと(くや)しい気持(きも)ちもあって、複雑(ふくざつ)でした。(うれ)しい気持(きも)ち、(かな)しい気持(きも)ち、そして「なんでかな」と(おも)気持(きも)ちをどう整理(せいり)しながら生活(せいかつ)していくか、大人(おとな)になるにつれて、その感情(かんじょう)(あつか)(かた)(すこ)しずつ(らく)になったように(おも)います。



むっち

本当(ほんとう)(いま)(あね)感謝(かんしゃ)していますし、大好(だいす)きです。でも、(むかし)はそう(おも)えなかった時期(じき)もありました。中学生(ちゅうがくせい)(ころ)反抗期(はんこうき)で、「うるさいなぁ」と(かん)じることも(おお)かったです。


当時(とうじ)(はは)自身(じしん)(きず)つける危険(きけん)がある時期(じき)があり、家族(かぞく)交代(こうたい)見守(みまも)らなければいけませんでした。(ぼく)(いえ)にいる時間(じかん)(なが)かったので見守(みまも)時間(じかん)(おお)かったのですが、友達(ともだち)(あそ)びたくて、(かぎ)()めて()かけてしまったことがありました。その(あいだ)(はは)危険(きけん)状態(じょうたい)になり、「なんで()ていなかったんだ」と(しか)られました。小学生(しょうがくせい)(ころ)からずっと(はは)()てきた(ぼく)にとって、その(いか)りは納得(なっとく)しがたい部分(ぶぶん)もありました。でも(いま)()(かえ)ると、(あそ)びたい気持(きも)ちはあっても、当時(とうじ)(たし)かに見守(みまも)必要(ひつよう)があったと実感(じっかん)します。


(ほか)にも、(まわ)りの()たちは勉強(べんきょう)(しゅう)(ちゅう)できる環境(かんきょう)にいるのに、うちでは(はは)(となり)部屋(へや)()いていて、(いえ)勉強(べんきょう)できませんでした。それでも学校(がっこう)先生(せんせい)からは「なんで勉強(べんきょう)しないんだ」「宿題(しゅくだい)やってこないんだ」と()われ、事情(じじょう)説明(せつめい)することもできず、(すこ)反発(はんぱつ)してしまったこともありました。


本当(ほんとう)は「勉強(べんきょう)できないのには理由(りゆう)があったんだ」と()いたかったのですが、()えませんでしたし、図書館(としょかん)()って勉強(べんきょう)するという選択(せんたく)もできませんでした。(つね)()()でない状況(じょうきょう)で、(はは)()いている(となり)勉強(べんきょう)しようとしても(しゅう)(ちゅう)できず、「こんな状況(じょうきょう)でもやれ」と自分(じぶん)()める気持(きも)ちと、「いや、無理(むり)だよ」という(おも)いが交錯(こうさく)していました。


むっち


ナミレオ

高岡(たかおか)さんが()っていた、「愛情(あいじょう)のこもったお弁当(べんとう)」ってすごく()かります。みんな(いろど)りのあるお弁当(べんとう)なんですよね。(ぼく)友達(ともだち)には自分(じぶん)(いえ)のことを(かく)していました。絶対(ぜったい)にばれてはいけないと(おも)っていました。


中学生(ちゅうがくせい)(ころ)(はなし)ですが、部活(ぶかつ)をやっていたので、お弁当(べんとう)()っていく(とき)には、(あね)(つく)卵焼(たまごや)きなどを真似(まね)して自分(じぶん)(つく)っていました。でもそれを友達(ともだち)には、「(はは)(つく)った」って()っていました。
(いま)(かんが)えるとすごくむなしいことをやっているなと(おも)うし、たぶん(まわ)りも気付(きづ)いていたと(おも)うんですけど、「今日(きょう)(かあ)さんこれだけだ」と(こえ)()して()うなど、あえて()こえるようにしていたこともありました。


20(さい)()ぎた(ころ)(はは)(あね)訪問看護師(ほうもんかんごし)()かける予定(よてい)()(はは)がまた(おこ)っているのを()自分(じぶん)はこのまま(はは)にしばられて(とし)()っていくのか」と(あらた)めて(おも)ことがあり、(はじ)めて人前(ひとまえ)()いてしまいました。その姿(すがた)()訪問看護師(ほうもんかんごし)心配(しんぱい)して、家族(かぞく)(やす)める時間(じかん)必要(ひつよう)ということで、(はは)短期(たんき)施設(しせつ)入所(にゅうしょ)できるようにつないでくれました。そこでヤングケアラー支援(しえん)(おこな)っているNPO法人(ほうじん)にもつながることができました。あの(とき)(たす)けてもらえたことが(おお)きな転機(てんき)になったと(おも)います。








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