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令和(れいわ)7年度(ねんど) 座談会(ざだんかい)

目次(もくじ)





医療関係者(いりょうかんけいしゃ)学校(がっこう)先生(せんせい)(まわ)りの大人(おとな)との(かか)わり


田中(たなか)

最近(さいきん)は「ヤングケアラー」という言葉(ことば)社会(しゃかい)(ひろ)まり、福祉(ふくし)医療(いりょう)現場(げんば)でも、その存在(そんざい)()()けてもらえるようになりました。しかし以前(いぜん)は、ヤングケアラーという存在(そんざい)自体(じたい)がほとんど認識(にんしき)されておらず、そういう(ひと)がいることすら()られていない状況(じょうきょう)もありました。みなさんは(まわ)りの(ひと)との関係(かんけい)はいかがでしたか?


田中


高岡(たかおか)

(はは)病院(びょういん)への()()いやお見舞(みま)いに()っても、私自身(わたしじしん)のことを()にかけてくれる(ひと)はいませんでした。まるで自分(じぶん)黒子(くろこ)のようで、「お(かあ)さん(くすり)はもらった?ちゃんと()んでる?」といった確認(かくにん)や、「お(かあ)さん大変(たいへん)病気(びょうき)だから、あなたがしっかり(ささ)えてあげてね」と、何気(なにげ)なくかけられた言葉(ことば)が、(わたし)(なか)(おも)()もっていきました。


風邪(かぜ)(ねつ)()しても、「あなたは(なお)るけど、お(かあ)さんは(なお)らないから」と()われたりして、ほっとできる時間(じかん)もありません。家族(かぞく)(からだ)(わる)(ひと)がいることで、(つね)頑張(がんば)らないと(ゆる)されないような感覚(かんかく)がありました。


ゴロゴロしている(ひま)があるなら、洗濯物(せんたくもの)ひとつでも(たた)まなきゃという気持(きも)ちに()()てられることも(おお)く、「お(かあ)さんがしんどいのに、そんなことしてていいの?」と()められるような気分(きぶん)になることもありました。一方(いっぽう)で、必死(ひっし)にやっていると「お(かあ)さん(おも)いでえらいね」「(むすめ)さんがいてよかったね」とほめられることもあり、()いことも(わる)いことも、ずっと評価(ひょうか)され(つづ)けているような感覚(かんかく)でした。



おかりな

高校(こうこう)3年生(ねんせい)(とき)、テストの点数(てんすう)(きゅう)()がったり、学校(がっこう)()けなくなったりしました。そのとき、部活(ぶかつ)先生(せんせい)()にかけてくれて、「どうしたの?」と(こえ)をかけてくれました。でも、「家事(かじ)をやるのは受験勉強(じゅけんべんきょう)息抜(いきぬ)きになるからね」と()われてしまい、ショックで(なに)(はな)せなくなりました。(わたし)にとって相談(そうだん)できる(ひと)はその先生(せんせい)だけだったのに、その(たよ)れる存在(そんざい)()えてしまったことで、(だれ)にも(はな)せないという状況(じょうきょう)になりました。


大学(だいがく)(すす)んでからは、学生相談室(がくせいそうだんしつ)という心理士(しんりし)(かた)がいる場所(ばしょ)(はな)()いてもらえる機会(きかい)があり、そこはありがたかったのですが、(わたし)社会的(しゃかいてき)にどうアプローチすればよいかを()りたかったです。みんな「(たす)けてって()えばよかったじゃん」と簡単(かんたん)()いますが、本当(ほんとう)(つた)えたいのは、(たす)けを(もと)めることがどれだけ勇気(ゆうき)のいる行動(こうどう)かを理解(りかい)してほしいということです。



田中(たなか)

おかりなさんの「自分(じぶん)から(たす)けてと()うことの(むずか)しさを()かってほしい」というメッセージ。(ほか)にこういうことを(もと)めたい、理解(りかい)してほしいということがあればお()かせください。



おかりな

ケアを(はじ)めたばかりの(ころ)は、(いま)までとは(ちが)環境(かんきょう)戸惑(とまど)い、「なんでこれをやらなきゃいけないんだろう」と(おも)うこともありました。しかし(つづ)けていくうちに、その環境(かんきょう)状況(じょうきょう)()れていきます。やらざるを()ない現実(げんじつ)()()れ、「これが自分(じぶん)役割(やくわり)なんだ」と(おも)わなければ、笑顔(えがお)(つづ)けることはできません。


(まわ)りの(ひと)には、表面(ひょうめん)的に()える行動(こうどう)だけでなく、その裏側(うらがわ)にある苦労(くろう)覚悟(かくご)理解(りかい)してほしい(おも)います。本当(ほんとう)感覚(かんかく)(にぶ)らせて、なんとか頑張(がんば)っている状態(じょうたい)なので、しっかりして()える(ひと)ほど、その裏側(うらがわ)()()けてほしいと(つね)(かん)じています。


おかりな


高岡(たかおか)

(わたし)もおかりなさんと(おも)いが(かさ)なる部分(ぶぶん)(おお)くて。一日(いちにち)一日(いちにち)()ごすために、自分(じぶん)気持(きも)ちや感情(かんじょう)(にぶ)らせなければやっていけないこともあります。でも、その状況(じょうきょう)(まわ)りの大人(おとな)は「なんとかやれてるじゃん」と(かる)()てしまうこともあり、頑張(がんば)れる()、がまん(づよ)()ほど(だれ)にも()づいてもらえないまま(おお)きな負担(ふたん)背負(せお)ってしまい、そのしんどさは大人(おとな)になってから心身(しんしん)不調(ふちょう)として(あらわ)れることがあります。


だから、どれだけしっかりしている()でも、無理(むり)をさせてはいけない。こどもが安心(あんしん)して、ありのままでいられる時間(じかん)環境(かんきょう)本当(ほんとう)大切(たいせつ)です。しっかりしている()ほど、無理(むり)はしていないか、日常(にちじょう)(なか)での(ちい)さな違和感(いわかん)にも()()け、予防的(よぼうてき)見守(みまも)ってほしいです。自分自身(じぶんじしん)精神的(せいしんてき)()んだり、(からだ)(こわ)したりしないと、自分(じぶん)(たす)けてもらえない…そんな感覚(かんかく)がずっとあったので、(まわ)りの理解(りかい)やサポートの重要性(じゅうようせい)(つよ)(かん)じます。



ナミレオ

(ぼく)(はは)のことを(だれ)にも(はな)さず、(まわ)りには(つね)に「アイドル(きゅう)笑顔(えがお)」を()せていました。どんなに(つら)いことがあっても、(つぎ)()には()()えて(わら)っているようにしていました。気付(きづ)かれたくない、(まわ)りに心配(しんぱい)をかけたくないという(おも)いから、自分(じぶん)(まも)るためにずっと笑顔(えがお)でいるしかなかったのです。


だからこそ、(ぼく)は「本当(ほんとう)(わら)っている(ひと)ほど、(なに)かを(かか)えている」ということを(つよ)実感(じっかん)します。友達(ともだち)からは(しあわ)せな家庭(かてい)大事(だいじ)(そだ)てられたと(おも)われていたけれど、実際(じっさい)はそうではなかった。(そと)から()える姿(すがた)内側(うちがわ)現実(げんじつ)(まった)(ちが)うこともあるんです。


ナミレオ


ぽむぽむ

(わたし)(あか)るくいる(ほう)(らく)だな、と思うこともありました。ずっと「しんどい」「(いや)だな」という気持(きも)ちでいると、本当(ほんとう)(そこ)まで()ちそうだからです。だから、自分(じぶん)で「()()えて元気(げんき)よくいこう」と()めることで、自分自身(じぶんじしん)(すく)うような感覚(かんかく)がありました。


また、(わたし)家庭(かてい)(そと)()()(つく)るために、さまざまなコミュニティに参加(さんか)していました。(いえ)のことだけに()()められないように、(そと)()(ひと)とつながることで、自分(じぶん)(こころ)(ささ)えていたのだと思います。
一方(いっぽう)で、当時(とうじ)(おとうと)のようにそういう行動(こうどう)がまだできない(おさな)()もいます。(かれ)には(たす)けを(もと)める手段(しゅだん)(かぎ)られていて、(いえ)(はは)見守(みまも)るしかなかった。だから、(わたし)(そと)()(あたら)しいつながりを(つく)ったり、(あたら)しい経験(けいけん)をすることが、(すこ)しでも(すく)いになるのではないかと(かん)じて行動(こうどう)していました。


こうした(はなし)には明確(めいかく)(こた)えはなく、すっきりするわけではありません。でも、(ほか)(ひと)(はなし)()くことで、自分(じぶん)(なか)で「こういう視点(してん)もあるのか」と()とし()むことができました。そしてこれを「()かった」で()わらせず、自分(じぶん)行動(こうどう)にどう()かすかを(かんが)えることが大切(たいせつ)だと(かん)じます。


ぽむぽむ







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